[Fall21 McGill-2] 文化 – 宮崎駿

みなさん、こんにちは。アシュリーとアビゲールとさとるです。このポストでは、アニメーターの宮崎駿(みやざき はやお)さんの生活と仕事について書こうと思います。

生活

宮崎駿さんはアニメの演出家です。宮崎さんは東京で1941年1月5日に生まれました。そして、東京の学習院大学で政治学と経済学を勉強しました。宮崎さんが作品に使う名前はあきつさぶろう、てるきつとむといわさきみやです。今、宮崎さんは埼玉(さいたま)の所沢(ところざわ)に住んでいます。子供が二人いて、名前は吾朗(ごろう)と圭介(けいすけ)です。宮崎さんの奥さんは大田朱美(おおた あけみ)さんです。子供の時、宮崎さんのお父さんは航空機を作る会社を持っていたから、飛行機に興味があって、航空のテーマの作品がたくさんあります。

仕事

そして、宮崎さんは1963年に東映アニメーションで初めて働きました。その時、宮崎さんや高畑勲(たかはた いさお)さんは一緒に映画を作りました。二人は『太陽の王子 ホルスの大冒険』(たいようのおうじ ホルスのだいぼうけん Hols: Prince of the Sun)や『狼少年ケン』(おおかみしょうねんケン Wolf Boy Ken)を作り上げました。でも、1971年に、宮崎さんと高畑さんは東映アニメーションを退社して、シンエイ動画に行きました。シンエイ動画では二人とも子供向け映画『パンダコパンダ』(Panda! Go Panda!)や『ルパン三世』(ルパンさんせい Lupin III)を作りました。それから、宮崎さんは月刊漫画も書きました。例えば『風の谷のナウシカ』(かぜのたにのナウシカ Nausicaä of the Valley of the Wind)です。この作品は1984年に映画にもなりました。それから、1985年に宮崎さんはスタジオジブリを設立しました。1986年の『天空の城ラピュタ』(てんくうのしろのラピュタ Castle in the Sky/Laputa)と1988年の『となりのトトロ』(My Neighbor Totoro)では興行成績はあまりよくありませんでしたが、映画のグッズやホームビデオがたくさん売れました。そして、この二人の作品はスタジオジブリを支えました。ちなみに、みんなも知っているジブリ作品『千と千尋の神隠し』(せんとちひろのかみかくし Spirited Away)は2001年に作りました。この有名なアニメ映画は19年間で日本歴代興行収入第1位になって、興行収入は316億8,000万円でした。『千と千尋し』のテーマは日本の文化や神話や西洋の消費主義です。テーマが深くて、アニメーションがきれいなので、第75回アカデミー賞でアカデミー長編アニメ映画賞をもらいました。宮崎さんはジブリで働いている時、色々な作品を作って、たいていの作品が有名になりました。しかし、残念ですが、宮崎さんは2013年にアニメーションを作るのを止めました。それでも、宮崎さんの今までの作品はまだこれからも楽しめます。

単語(たんご)

演出か(えんしゅつか)Producer, director

政治学 せいじがく Study of politics

経済学 けいざいがく Study of economics

作品(さくひん)Work, production, performance

興味(きょうみ)Interest (in something)

航空(こうくう)Aviation

初めて(はじめて)The first time

働く(はたらく)To work

退社する(たいしゃする)To leave the office/work

動画(どうが)Animation, animated cartoon

子供向け(こどもむけ)Aimed at children

月刊(げっかん)Monthly publication

設立する(せつりつする)To found, to establish

興行成績(こうぎょうせいせき)Box-office record

支える(ささえる)To support, to sustain

歴代(れきだい)Successive generations 

興行収入(こうぎょうしゅうにゅう)Box-office revenue

億(おく)Hundred million

神話(しんわ)Legend

消費主義(しょうひしゅぎ) Consumerism

西洋(せいよう)Western

深い(ふかい)Deep

第75回アカデミー賞(だい75かいアカデミいっしょう)75th Academy Awards

長編アニメ(いっちょうアニメ) Long animation film

Sources:

https://ghibli.fandom.com/wiki/Hayao_Miyazaki

https://www.britannica.com/biography/Miyazaki-Hayao

https://www.npr.org/2021/10/02/1042155204/academy-museum-hayao-miyazaki-studio-ghibli-exhibition

[Fall 20 McGill-1] 知里 幸恵(ちり ゆきえ)

 日本である少女が、彼女の民族の大事な文化遺産を保存して伝承することができるようにしました。それはアイヌ族の知里幸恵です。

アイヌ人夫婦

 アイヌは北海道や本州の北東に住んでいる先住民族です。文字を持たない民族です。昔、和人と商売などの交流がありましたが、和人はアイヌ文化を見下していたから、紛争もありました。アイヌ文化の中で、ユーカラと呼ばれる口承文芸はユニークです。人々はアイヌ語を使って、文化や歴史をたくさん話しました。たとえば、人間の世界が大きな魚の背中にある伝説があります。明治時代からアイヌ語の話せる人がどんどん減り、日本語と全く違うから、日本語を話す人は理解できなくなりました。ユーカラは絶滅しようとしていました。

 知里幸恵は初めてこの口承文芸を文字に記録して日本語に翻訳した人として有名です。1903年(明治36年)に北海道のアイヌの家族に生まれて、祖母と伯母からアイヌ語と日本語を学びました。子供の時、和人と同じ学校で勉強したことがありました。アイヌ人だったから、頭がよかったのに学校でいじめられました。多くの同族の子供のように自分とアイヌ文化に自信がありませんでした。

 十五歳の時、その時にアイヌの言語を研究していた言語学者の金田一京助に出会いました。金田一との会話に感動して、祖先が残してくれたユーカラの研究に一生を捧げることにしました。ユーカラを守って、世の中にアイヌ伝統文化を広めるのが夢だったので、金田一のサポートを受けてユーカラを記録し始めました。祖母が語るユーカラをローマ字で書いて、日本語に翻訳しました。1922年(大正11年)に、東京に行って金田一の研究助手になりました。半年後の秋に、ユーカラの編集を終えた同じ日に東京で亡くなりました。作品の『アイヌ神謡集』は一年後に出版されました。

 幸恵の19年の短い人生でした仕事は、アイヌ人が自分たちの文化に自信を持って文化を復活できるようにしたことです。『アイヌ神謡集』の出版は、自分たちの言語が書けなかったアイヌ人にとってユーカラをよりよく伝承するのに役立ちました。日本語の翻訳があったから、日本語を話す人に読みやすくなって、より多くの人がアイヌの言葉、文化、伝統が理解できるようになりました。

アイヌ神謡集の初版本(知里幸恵・銀のしずく記念館/北海道登別市)

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単語リスト:

  1. 文化遺産(ぶんかいさん) cultural heritage
  2. 伝承する(でんしょうする)  to hand down
  3. 先住民族(せんじゅうみんぞく) indigenous people
  4. 商売(しょうばい) trade
  5. 紛争(ふんそう) conflict
  6. 見下す(みくだす) to condescend to
  7. 口承文芸(こうしょうぶんげい) oral literature
  8. 人間(にんげん) mankind
  9. 減る(へる) to decrease
  10. 絶滅する(ぜつめつする) to extinct
  11. いじめる to bully
  12. 自信(じしん) confidence
  13. 感動する(かんどうする) to be moved; to be inspired
  14. 捧げる(ささげる) to devote
  15. 伝統文化(でんとうぶんか) traditional culture
  16. 守る(まもる) to protect
  17. 助手(じょしゅ) assistant
  18. 編集(へんしゅう) editing
  19. 出版する(しゅっぱんする) to publish
  20. 復活する(ふっかつする) to revive
  21. 役立つ(やくだつ) to be helpful; to serve the purpose

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編集者:ヘイズ、エミコ、シシ―、ベリンダ